桶狭間武将三路

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- て い る 間 に 、2 , 0 0 0 の 兵 を 率 い て 桶 狭 間 に 向 け 、扇 川 沿 い に 駒 を 進めました。焼田橋近くで陸に上がり、神明の山間に入り、現在 の 有 松 天 満 社 の 北 か ら 東 陵 中 学 付 近 を 通 り 、生 山 の 山 麓 に 沿 っ て 、 正午過ぎには武路山の谷間(釜ヶ谷)に到着し、今川本陣突撃の 機会を窺うまでになりました。中島砦からの進軍中、夕立雲が追 いかけるように流れ、見る間に桶狭間の空一杯に拡がり、まわり を 暗 く さ せ 、盛 ん に 降 る 大 粒 な 雨 に 続 き 、稲 妻 は 中 空 を 駆 け 巡 り 、 雷 鳴 は 四 方 の 山 に 響 き わ た り 、い っ と き も 離 さ ず 持 っ て い る 長 槍・ 刀・ 鉄 砲 な ど の 武 具 は 避 雷 針 の 代 わ り と な っ て 落 雷 を 呼 び 寄 せ、 おけはざま山の今川本陣は騒然となっていました。雷雨の収まり とともに、今川本隊の右翼軍を急襲したところ、混乱状態にあっ た今川軍は突如現れた織田軍に仰天、臨戦体制が取れず逃げ崩れ ました。今川軍を攻撃していた信長は、塗輿を見つけ、義元がこ の 近 辺 に 居 る こ と を 確 信 し て、 本 陣 へ の 集 中 攻 撃 を 命 じ ま し た。 お け は ざ ま 山 に 踏 み と ど ま っ た 旗 本 の う ち 、3 0 0 騎 は 義 元 を 真 中 にして戦いましたが、 織田軍の果敢な攻撃で、 ついに 50 騎となり、 西の深田(田楽坪:現在の名古屋市桶狭間古戦場公園付近)まで 押され、午後 2 時過ぎ、ついに義元は討ち取られました。 戦い に 勝 利 し た 信 長 は 、全 軍 を 釜 ヶ 谷 付 近 に 集 め 、勝 ど き を 挙 げ た 後 、 村人に、戦死者の埋葬を命じて帰還しました。現在「七つ塚」と し て、 そ の 一 部 が 保 存されています。 ※信長の家臣が記し た「 信 長 公 記 」 と 桶 狭 間 の 地 形、 史 跡、 伝承をもとにしてい ます。
文責:桶狭間古戦場保存会
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