おけはざまの歴史

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- 9. 信長の尾張統一
尾張では長い間、各地の武将どうし が争っていました。1551 年(天 文 20 年)信長が父信秀のあとを継ぐと各地 で謀 反が起きました。信長は自分が育 てた強い武士集団を使い、わずか 7 年 間で 1559 年(永 禄 2 年 ) にすべてに 勝利して、ついに尾張を統一しました。 これにより尾張の上 四郡(中 島郡、 羽 栗郡、丹 羽郡、春 日井郡)と下 四郡 (海西郡、海東郡、愛知郡、知多郡)を 掌握し、尾張統一を果たしました。
しょくあつ かいせい かいとう あ い ち ち た は ぐ り に わ か す が い しもよんぐん かみよんぐん なかしま えいろく む ほ ん てんぶん
おわりとういつ
鳴海赤塚の合戦: 1552 年(天文 21 年)4 月鳴海城主山口教継親子謀反 萱津の合戦: 1552 年(天文 21 年)8 月清須城の重臣坂井大膳謀反 村木砦の戦い: 1554 年(天文 23 年)1 月知多郡緒川の村木砦攻撃 清須城入城: 1555 年(弘治元年)主家の織田信友の清須城を攻撃し奪取入城 実弟信行の反乱: 織田家筆頭家老林通勝とその弟林美作守、柴田勝家が信長を廃嫡し 信行の擁立を企てるが、稲生にて決戦。その後、和解する。 岩倉の織田総本家信賢の反乱: 1558 年(永禄元年)7 月浮野で合戦 織田信行の再度謀反の報告: 1558 年(永禄元年)11 月清須城内で謀殺 岩倉城総攻撃: 1559 年(永禄 2 年)春、信賢の岩倉城を攻撃し、破壊する。
のぶかた ぼうさつ のぶかた えいろく う き の りょうりつ い の う わ か い はやしみちかう はやしみまさかのかみ しばたかついえ はいちゃく き よ す お だ のぶとも だっしゅ むらきとりで お が わ か や つ さかいだいぜん
あかつか
てんぶん
やまぐちのりつぐ
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