おけはざまの歴史

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- 8. 若き日の信長
馬の稽古
信長は朝夕の馬の稽古では、着物の片袖を脱いだ姿で腰に瓢箪をぶらさげ、髪は茶せんに結 び太刀は朱ざやを差し、村の若者を集め人目も気にせず馬上で栗や柿そして瓜などをかぶりつ きながら、村や野を駆け巡っていました。尾張の国はもちろん周りの国からも「尾張の大うつ け」と呼ばれていました。しかし、信長は地 侍 や名主層の若者を呼び出し、また領内の屈強な 地下人の次男、三男などを仲間に誘い入れ「槍は短いより長い方が有利である」と 6 メートル をこえる長槍を作らせその稽古をしたり、鳥や小動物を獲る鷹狩として戦の訓練をし、鉄砲を 数多く集めて撃つ訓練をしました。また、夏は水泳で体を鍛えて弱いと評判であった尾張の国 の若者たち 800 人ほどを鍛え上げ、戦いに強い武士としての家来を沢山育てました。
きた たたか たくさん う きた ながやり と たかがり いくさ じ げ に ん じ ざむらい な ぬ し そ う くっきょう か めぐ まわ お わ り た ち しゅ かき うり
け い こ
ひょうたん
かみ
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