おけはざまの歴史

- ページ: 35
- 8 戦評の松
せんぴょうのまつ
「桶狭間の戦い」の案内看板と戦評の松
義元の本陣の設営を終えた瀬名氏俊隊は、この大松の下 で 軍 議 を 開 い た と い わ れ、 戦 評 の 松 と 言 い ま す。 初 代 の 松 は、 古 写 真 に あ る よ う に、 樹 齢 400 年 を 超 え、 直 径 1 m 以 上 あ る す ば ら し い 松 で し た が、 昭 和 34 年(1959) の 伊 勢 湾 台 風 で 枯 れ て し ま い ま し た。 今 の 松 は 3 代 目 に
三代目となる戦評の松
ごりょうち じゅれい
あ た り ま す。 他 に 敷 地 内 に は、 明 治 以 降、 御 料 地 の 払 い 下 げ を 受 け て、 農 地 を 開 墾 し た 記 念 の 碑 が あ り ま す。
かいこん
今の刈谷に住む漁師が、旧暦5月 19 日の未明、魚を名古屋の市場に届ける 途中、この大松の下で休んでいると、大松の上の方から白馬に跨り、白装束 の義元の亡霊が現れ、漁師にこのことを絶対に他人に話してはならぬと口止 めして大池の方へ去って行きました。それ以来、漁師はこのことで悩み、つ いに仲間に話してしまいました。するとその漁師は急に体調を崩し亡くなっ てしまったとのことです。
もと またが しろしょうぞく
りょうし
昭和初期の戦評の松
35
- ▲TOP