おけはざまの歴史

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- ゆかりの史跡
清 須 城 ( 愛知県清須市)
1405 年(応 永 12 年)守 護斯 波義 重によって築 城されましたが、以後尾張下四郡を支配する守護代 織田家の本城として使われていました。桶狭間の戦 いの時は、織田信長の居城でありました。1560 年 (永禄3年)5月 19 日早朝、今川軍により丸根砦、 鷲津砦が攻撃されたとの知らせを受けた信長は、わ ずか小姓5人を従えてこの城より出陣し、熱田神宮
こしょう わ し づ ま る ね とりで しも よ ん ぐ ん しゅごだい おうえい し ゅ ご し ば よししげ
き よ す じ ょ う
清須城(現在の清須市)
を経て鳴海の善照寺砦そして桶狭間へと進軍して大
きょじょう けいちょう
ぜん し ょ う じ
勝利しました。信長は、小牧山城に移るまでの 10 年間居城しており、徳川家康との清須同盟もここで 結ばれております。その後、多くの武将が入城していますが、1609 年(慶長 14 年)徳川家康の清須 から名古屋への移転命令により、名古屋城の完成と城下町の移転(清須越し)が完了した 1613 年(慶 長 18 年)に廃城となりました。
あ つ た じ ん ぐ う
はいじょう じょう か ま ち き よ す ご
熱 田 神 宮 ( 愛知県名古屋市熱田区)
今から約 1900 年前、 日 本 武 尊 が残していった 「草 薙の剣 」をご神 体として創建され、伊勢神宮に 次いで権威のある神社です。熱田の港とともに地域 桶狭間の戦いの時、 の賑わいの中心でもありました。 清須城を総勢6人で出陣した織田信長は、8時ころ 熱田神宮に到着し戦勝祈願をしましたがこの時には
神宮内にある信長塀
せんしょう き が ん そうぜい にぎ け ん い くさなぎ つるぎ しんたい やまとたけるのみこと
兵は 1,000 人になっていました。当時は、熱田神宮 の南側は伊勢湾がせまっていて大高方面を直接望む
のぞ
熱田神宮
ま る ね とりで わ し づ とりで
ことができ、ここで信長は味方の丸根砦・鷲津砦が今川軍の攻撃を受け、落城したと思われる煙が立ち 昇るのを見ております。この時の信長の心境はいかばかりであったでしょうか。無神論者とも言われる 信長が桶狭間の戦いに勝利した後、今も残る「信長塀」を寄進していることから、よほどご利益を感じ たのではないでしょうか。現在も地域の大神様として新年の初詣には、大勢の方が訪れています。
おおがみ はつもうで べい き し ん り や く むしんろんじゃ
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