おけはざまの歴史

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- 豊明
と よ
あ け
(愛知県豊明市)
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沓掛城跡
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中島砦跡
桶狭間の戦いの前夜、今川義元が軍議を開いたと言われ、戦 い当日の朝、ここより桶狭間の本陣に向かいました。勝利した 織田信長は、一番の手柄を収めた簗田出羽守にこの城を与え ました。その後城主は代わり 1600 年ころ廃城となりましたが
ほんまる や な だ で ば の かみ
本丸、空堀など遺構が残っており、今は沓掛城跡公園として整 備されています。
そらぼり
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鳴海城に対し織田方が築いた3砦の一つです。扇川と手越川 の合流点にあり、織田信長は、ここより扇川つたいに、山裾を すり抜け桶狭間に向かったと言われております。今は私有地の 中に史跡碑が建っています。
おうぎがわ て ごしがわ
桶狭間古戦場伝説地
江 戸時代東海道沿いに、今川義元の墓 碑、七 石表 などが建 てられ、古くより桶狭間古戦場として知られてきました。昭 和 12 年(1937)に国に史跡指定を申請した際、古戦場として
え
ど
ぼ
ひ
しちせき ひょう
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丸根砦跡
かくしょう
確証が得られなかったので、国は「桶狭間古戦場伝説地」とし
て認めたとのことです。
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戦人塚
織田信長が今川の大高城を封じるために築いた砦の一つで、 大高城から東約 800 メートルの所にあります。兵糧入れに成功 した松平元康(後の徳川家康)隊の激しい攻撃をうけ、今川方 に落とされました。現在、周辺は住宅地が広がり当時の面影を わずかに残し、丘の上には国指定史跡の碑や戦士を祀る供養碑 などがあります。 曹源寺住職らが、桶狭間の戦いの戦死者を集め葬った塚と伝 えられています。塚の石碑は、今川義元の 180 回忌のとき建て られたと言われ、国指定史跡になっています。
そうげんじ
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