桶狭間合戦始末記

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「桶狭間合戦始末記」を発表するにあたり、所感とその経緯について、一言申し上げる。 桶狭間合戦は、織田信長が少数で今川義元の大軍を破ったことで有名である。単に戦術面の みで見ればその通りであるが、私はもっと広い史観から眺める事が必要であると思っている。
織田信長は「天下布武」を宣言。武力で他国を占領し所領を拡大していった。しかし中世の陋 習を打破して、庶民の生活を活性化する強い意志を持っていた信長は、兵農分離、楽市楽座、 関所撤廃、政教の分離、道路の改修や架橋、伊勢湾舟運の開発促進、検地 等々を進めた。農 奴的大衆を諸々の桎梏(しっこく-足かせ)から開放して、農民は農耕に専従し、また商工に携わ る者は、公家や社寺のきつい絆から開放して、共に自営自立の途を開いた。そして、今まで歴史 の中で埋没されていた一般庶民を歴史上に躍動させる基盤を築いたのである。 庶民が躍動する様を端的に表しているのは、江戸時代に年々増加していった伊勢参り、京見 物の旅人であろう。60年ごとに数百万人の人々が、東海道、山陽道、中山道に溢れ、「伊勢へ、 伊勢へ」と押し寄せた。おかげ参りの行列である。このような行動は、庶民が社会の中でわが世の 春を謳歌していた現れであった。 この時代を近世と呼び、その幕を開いたのが織田信長であった。そして、信長に天下人として の望みと自信と勇気を与えたのが、桶狭間合戦での勝利であった。
このように桶狭間合戦とは、日本の歴史上特筆すべきものなのである。しかるに、江戸時代初 期に書かれた一作家の創作本を基にした説が罷り通っていることは、地元の者としては看過でき ないことである。 地元の地形に明るく、且つ若い時代の従軍6年の戦闘体験を下地にして、これまでの諸説を検 討、調査すること数十年、ひとつの合戦記を編んだ。
最近、私が八十八歳の齢を越えた事を知り、私の桶狭間合戦記を活字に遺しておけとの要請 があった。この齢で合戦記を新たに「書き下す」ことは時間的にも無理があったので、これまで各 所で行ってきた講演の原稿を少し整理して「始末記」と名付け、一冊にまとめたのが本書である。 内容に重複する処が度々あり、未熟にして読みにくい合戦記であるが、上記の事情をご了承い ただき、ご笑覧賜れば幸甚の至りである。
平成19年9月8日
梶野 渡
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