おけはざまの歴史

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- 14. 信長 清須城出陣
あつもり
き よ す
敦盛を舞う信長
信長は朝早く清須城で今川軍が出陣したことを聞くと、幸若舞の「敦盛」を舞い、鎧・兜を 身に着け立ったまま湯漬けで食事をしてから、わずか小姓 5 騎のみで出陣(午前 5 時頃)しま した。これは、尾張統一まもないこの時期の家来達にじっくりと考えさせない為の信長の行動 であり、野外決戦(今川本陣突入)をおけはざま山で決行する作戦が漏れるのを防ぐ為である (午前 8 時頃) したころには兵力が 1,000 名程になっ と思われます。 熱田神宮に到着して戦勝祈願 ていました。その後、丹下砦を経て善照寺砦に集結した時(午前 10 時頃)には、兵力が 3,000 名程集まりました。そして、大将旗を始め多くの幟旗を立て「信長は是にあり」と、今川方に わざと見せました。
たいしょうき のぼりばた これ た ん げ とりで ぜ ん し ょ う じ とりで せんしょう き が ん ゆ づ こしょう き
こうわかまい
あつもり
よろい
かぶと
幸若舞「敦盛」の一節
織田信長は出陣前に「人間 50 年、下天のうちをくらぶれば、夢 幻 の如くなり、一度生を得て滅せぬ者あるべきか」と舞っていたわん
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ごと ひとたびしょう え めっ げてん ゆめまぼろし
こ う わ か ま い
あ つ も り
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