おけはざまの歴史

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- 18. 義元の最期
さ い ご
錦絵(梶野 一 氏蔵) 義元を守る旗本の 300 騎が次第に 50 騎ばかりになり、追い詰められた義元は、大高城へと 逃げようとしましたが、田楽坪(現在の桶狭間古戦場公園)の田んぼやぬかるみに足元をうば われました。一番槍として服部小平太が義元に打ち掛かりましたが、反撃にあい膝を切られ倒 れました。次に毛利新介が義元を組臥せ、ついに首をとり信長軍の勝利となりました。信長は 戦いの後、長福寺で義元の首検証をしてから、清須へ引き上げました。その後、清須で今川方 の武将の首検証に立会った茶坊主(林阿弥)に刀、脇差と義元の首を与え僧侶を付けて駿府に 帰させました。また、塚を築いて大卒塔婆をたて千部経をあげて、討死したものの冥福を祈り ました。
おお そ と ば せ ん ぶ きょう うちじに めいふく り ん あ み わきざし そうりょ す ん ぷ く び けんしょう も う り しんすけ く み ふ いちばんやり はっとり こ へ い た ひざ でんがくつぼ
か じ の
かず
今川義元は 42 歳で亡くなったわん
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