おけはざまの歴史

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- 合戦当時の地形をジオラマ風にアレンジした公園
ジオラマ公園(石は城や砦を表現)
左:信長塀(熱田) 右:伊勢湾の海を表現
義元首洗いの泉
馬つなぎの社松
義元水汲みの泉とも言われ、泉の中にくるくる回る桶 があったので、桶廻る狭間が桶廻間、桶狭間となったと も言われています。
まわ はざま おけはざま
義元が馬をつないだと言われる「ねずの木」です。触 れると熱病に罹るとの伝承があり、ねず塚にあったもの を移植し今は枯木として残しています。
今川義元の墓
「桶狭間を過ぐ」漢詩碑
田楽坪のねず塚から出土した「駿 公墓碣」と刻まれた墓碑です。苔 む していますがその建立年は不明です。また、隣接して昭和8年に建立さ れた墓碑もあります。 「駿公墓碣」の「駿」とは、すぐれた又は秀でたの 意味し、駿公とは駿河の国 ( 現在の静岡県 ) のすぐれたりっぱな人との意 味です。墓 碣とは頭部が丸い形状をした墓石で、方形をした物は墓 碑と 言います。
ぼけつ ぼ ひ すんこう するが すん ひい
すん こう ぼ けつ
こけ
作者:大田 錦城
おお た
きんじょう
(江戸時代後期の儒学者、詩人) 1820 年(文政3年)旅の途中、桶狭間 の古戦場を訪ね、往時を偲んで詠んだ ものです。
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