おけはざまの歴史

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- 5 おけ は ざ ま山
やま
昭和初期のおけはざま山
義元の本陣があったところです。桶狭間の戦いについ て、最も古く、信頼度が高いとされている「信長公記」に は、 「今川義元おけはざま山に人 馬の息を休めこれあり」 と記されています。 「おけはざま山」は固有の山の名称で なく、当時の大脇村と桶狭間村の境界にある桶狭間の山を
おけはざま山から見下ろす
おおわきむら じんば しんちょうこうき
指し、本陣は先陣隊がいる巻山、幕山、高根山が一望でき る西側中腹に作られていたと思われます。織田信長が釜ヶ 谷から突撃したのは、このおけはざま山の本陣であり、桶 狭間の戦いの主戦場となりました。そして、義元は古戦 場公園辺りまで攻め込まれ、ついに討 ち取られました。 ※「信長公記」 :織田信長の側近であった太田牛一が生涯 にわたり書き留めたものを計 16 巻(首巻、第一巻~第 十五巻)にまとめた織田信長の一代記です。桶狭間の戦い
そっきん おおたぎゅういち う
本陣があったとされる場所
は、この首巻に記述されています。
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