おけはざまの歴史

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- 6 瀬 名 氏 俊 陣地 跡
せ な う じ と し じ ん ち あ と
写真左:わずかながらの笹の葉を残す
今川義元の身内でもある家 臣瀬名氏俊が、先発隊としてお けはざま山に本陣を設営するため5月 17 日に着陣した所で す。古くは、案内板より東 50 ~ 100 mほど入ったところに 竹林の台地があって、地元では、セナ藪とかセンナ藪と呼んで おりました。瀬名氏俊は、桶狭間神明社へ戦勝を祈願し、戦評
瀬名氏俊陣地跡碑
しんめいしゃ きがん せんぴょう おおだか やぶ
かしん
の松の下で軍議を開き、そして無事本陣設営を終えて大 高城 に向かいました。そのため桶狭間での戦死はまぬがれました。 昭和の時代までは、陣地解説板前の道幅の半分は鞍流瀬川が あって、何時もきれいな水が流れていました。初夏には、ホタ ルが乱舞し、村人はこのホタルを合戦で討ち死にした戦士の亡 霊といい、一部のホタルは西(京都)の方に飛んでいくとも言 われておりました。また、 この辺り一帯に黒色の 「はぐろトンボ」 も飛んでいましたが、大将今川義元が「鉄漿」をしていたので、 地元では「おはぐろトンボ」と言い、捕獲することはありませ
おはぐろ くらなが せ が わ
昭和初期の瀬名氏俊陣地跡
んでした。
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